
| 開館時間 |
午前9時から
午後4時まで |
| 休 館 日 |
12月30日から
1月3日まで |
ENGLISH
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渡 邉 邸 の 概 要

初代儀右衛門善高は村上藩主松平大和守直矩の家臣で郡奉行として活躍していたが、大和守が姫路へ国替えのとき、家督を嗣子に譲って桂村に隠居、寛文七年(1667)現在地に転居したという。
二代三左エ門善延は養父とともに廻船業を営み、酒造業を開業した。前者は幕末、後者は明治初期まで続いた。
三代三左エ門善久は享保十一年(1726)財政難に苦しんでいた米沢藩に融資、幕末まで総額十万両以上用立て、急迫の同藩財政を救い、その功により五代三左エ門英良以後同藩勘定奉行格の待遇を受け、ことに七代三左エ門善映は寛政十年(1798)四百五十石の知行が与えられた。
土地集積も遂次順調に進められ、米沢藩ほか他藩に用立てた融資の返済金などを充当して既墾地、紀伊国新田・長波新田・城塚新田等を購入、自らも新田を開発、渡辺新田と命名、幕府代官所より正式に認可された。
四代三左エ門善永は地域の神社・仏閣を再建、京都より遠州流庭師を招き庭園を構築した。
五代三左エ門英良は李亮、六代三左エ門善富は李郷と号し、北越美濃派俳諧の宗匠として活躍、文人墨客ここに遊び多くの文化財を残している。
十代三左エ門善郷、十一代萬壽太郎ともに地域産業文化の発展に寄与した功績は大きい。
全盛期には七十五人の使用人、一千ヘクタール(約一千町歩)の山林を経営、七百ヘクタール(約七百町歩)の水田から一万俵の小作米を収納したと伝えられる。
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